「入れたい」のは女性の方なんだよな。

よく男性は「入れたがる生き物」とされるけれど、本当に好きな相手の場合「入れたい」のは女性の方。
「そんな事ないよ!男の方が性欲強いよ!」
うんうん、それはそう。でもね、男女でその理由が違うのよね。

女性は誰かを愛すると相手と一体化したくてたまらくなる。
それは男性の「セックスしたい」とは違う。

好きで好きで愛おしすぎて、もっともっとくっつきたい、抱きしめられてそのままズブズブと相手の肉体に入り込みたい。
まるで童磨に喰われる胡蝶しのぶのように相手の体内に溶け込みたいのだ。

だけどそれは現実世界ではあり得ないので、物理的に繋がれるのは男性器を自分に挿れるしかない。
だからこそ好きな男には、挿れて欲しいし繋がりたい。

ところが男性はこの感覚を持てる人はとても少ない。
ほとんどの男性にとってそれは「性器同士のつながり」の概念が抜けない。
女性のそれとは別物なのだ。

物理的に挿れたい感覚しかない男性の場合は、なんとなく女性から搾取してる感覚があるし、セックスするしないの主導権は自分にあると思っている。

だから相手を本気で好きになったり、人間としてもリスペクトしてる女性を抱きたいと感じた時に、ほんのりとした罪悪感を持つ。

「こんなに大切に思う君に欲情してごめんね。僕は単にヤりたい他の男と違うよ!でもヤりたいよ本当は。でもその欲情を見せて君に嫌われたくないよ。
でもヤりたいよ本当は」
のような妙な葛藤が芽生える。
(個人的にはこれはこれで可愛い)

あげく「君はすごく魅力的だけど、そんな事が目的じゃないからね」
のようなまたもや妙な事を本人に言い出したりもする。
(女性からすると「ん?何の話?」てことになるわけだが)

こんなやり取りを重ねながら、やがて成熟した男性側も女性と同じように
「愛おしすぎてただつながりたい」が増えてくる。

こうなると「セックスはしたいけれど挿れても挿れなくても良い。射精はしなくても良いけど、抱きしめていたい」のような感じだ。

この感覚が芽生えた男性は極めて安心感があるので、余裕を漂わせるのでモテることが多い。

さて一方で。
そのような感覚が一度も持ててないまま中年になった男性は、「あわよくばヤりたい」がおじさんになっても抜けない。

まるでバイキング会場で「元取るぞー!」とがっつく人のように
「女と会うんだからヤれないと損!だからヤレるなら奢るけどヤれないなら割り勘!」みたいな目も当てられないみっともなさが丸出し。だから当然モテない。

モテなさすぎて卑屈になってインターネットの中では女を叩き、道端で気弱そうな女性にわざとぶつかり、電車で偶然を装い触り、メンエスで挿れたらダメなの?と交渉する。

ああなんてキモいw

さて一方で女性の話。それでも若い頃は自分にギラギラ欲情されるのが楽しい女性もいる。
いわゆる「アナモテ」を「本気モテ」と勘違いしちゃうパターンだ。

こういう方は幾つになっても「男は皆私とヤりたいんでしょ?」と思い込んでいてまあまあめんどくさい。
だから幾つになってもそのパターンでモテようとする。

当たり前だが男女共に若さが失われたら肉体的価値は薄れる。
だからこそ生き様が価値となり、そこに惚れ込んでくれる人は必ずいるものである。

何が言いたいかって言うと、いつまでも挿入だけのセックスで相手の執着を作ろうとするのはやめた方が良いよ、て話。

愛を知る。内面を知る。もっともっと相手を大切にしたいと思う。それを行動にする。

パートナーとの毎日はそうして潤っていく。
そんな相手とは共に手を繋ぎイチャイチャしてるだけで溶け合うほどの幸福感が得られるものだと思うんだなぁ。

Follow me!